二つの豊島

その他
10 /16 2009

東京都豊島区と北区の豊島、同じ「豊島(としま)」でも知名度は                      豊島区 >>>>>>>>>>>>>>>> 北区豊島                    こんなカンジです。                             



この「豊島」という地名は、どちらも平安時代から鎌倉時代に勢力をふるった豪族 豊島氏に由来しています。豊島氏は豊島清光以来、一族郎党が数百年にわたって栄え「平塚城」を本拠地として、北区の豊島や滝野川、岩淵をはじめ、板橋、練馬など、現在の東京の中央部の3分の1(残りの3分の1を江戸氏と3分の1を葛西氏)を広く支配していました。しかし文明九年(1477年)、「城取りの名人」太田道灌に滅ぼされ、豊島氏の領地はすべて太田道灌に奪われました。



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かつて平塚城のあった場所には、現在「平塚神社」があります。



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北区中里の蝉坂(せみざか)。この蝉坂を上がったところに平塚神社があります。この蝉坂は攻坂(せめざか)が変化したもので、この坂を駆け上り平塚城を攻める太田軍、そしてそれを迎え撃つ豊島軍、両者の激突(江古田原・沼袋の戦い)を彷彿とさせる名前です。



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豊島清光が開いた清光寺(北区豊島七丁目)。今年本道が新築されました。



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木造豊島清光坐像。これは北区立飛鳥山博物館にある複製で、本物は清光寺にあります。

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